世界最高の特許査定率について想うこと(2020.05.11追記)

1 特許査定率の上昇

特許行政年次報告書2019年版(1)特許庁編「特許行政年次報告書2019年版」によれば、我が国の特許査定率が上昇しており、2016年では75.8%、2017年では74.6%となっている。特許査定率の定義は海外各国により異なるが、2017年では、米国71.9%、韓国63.1%、EPO57.1%、中国56.4%となっており、日本での特許査定率は最も高いものとなっている。

この点について、特許庁は、前記報告書において、出願年別で見ると、特許登録件数は17万件前後を維持している。また、特許出願件数は近年漸減傾向であるものの、審査請求件数はほぼ横ばいを維持している。そして、特許出願件数に対する特許登録件数の割合(特許登録率)は増加傾向にある。このことから、出願人が特許出願にあたり厳選を行うことが浸透し、企業等における知的財産戦略において量から質への転換が着実に進んでいることが窺える[1-1-6図]。(第1章、特許(1)、4頁)と分析している。

しかしながら、特許庁が分析したような側面も否定できないとはいえ、このようにして特許を受けた発明の多くは、企業等が今後20年、30年にわたって利益を出していけるような「イノベーション」に値する技術ではなく、自社の中核技術をベースにして他社技術との差別化を目的とした技術ではないか、というのが実感である。

2 何故、特許査定率がこのように高くなったのか

(1)情報の非対称性

経済学に「規制の虜(とりこ)」という用語があるように、例えば、その有する専門知識その他の情報の量や質において規制する側が規制される側より劣る場合、すなわち、規制する側と規制される側との間に「情報の非対称性」が存在する場合においては、規制する側が判断を誤ることがしばしば起こる。

現在の審査官は審決や判決をよく勉強していると感じるが、私が現職であった頃(1970年から1980年にかけて)の審査官は、審決や判決にとらわれることなく審査をしていた。もちろん論理付けを疎かにすることはないが、発明が特許に値するものであるか否かを判断するが審査の本質と考えていたので、技術的な価値判断の在り方について同僚の審査官とよく議論を交わしていた。

発明が技術水準からどの程度の水準にあるかを判断するには、技術情報の収集や習熟が大事である。当時の審査官は、特許公報が特許分類ごとに分類、整理された分冊を手でめくって審査サーチをしており、週休二日施行前の土曜日には特許庁資料館に出向いて「外国特許公報」の整備に充てていた者が多かった。また、特許庁資料整備課に在職する調査員からは、非特許文献(技術専門雑誌)や外国特許抄録(日本語訳)が特許分類を付与された上で送付されることになっており、審査官はこれらの技術文献も精読した上で特許分類ごとに分冊し、技術情報への習熟を深めていった。そして、これらの技術文献に基づいた情報収集に加えて、企業等への「工場見学等」にも頻繁に行かせて頂いた。当時の特許庁予算は現在のように特別会計によるものでなく、出張予算も少なかったが、そのような中でも審査長は工夫され、若手審査官や審査官補(通常、入庁1~4年生)が「工場見学等」に行けるように配慮された。ここで、初めて発明者がどのような人であるかを知った。

「工場見学等」の際には企業等の工場長が説明によく来られたが(審査官の人となりに大いに関心があったようである。)、工場長は皆、歩くのが速くて、何段もあるプラントの階段を駆け登られる。常日頃からこうして工場を見廻っているとのことだった。また、どんなに老朽化した工場であっても、清掃が行き届いており、工場内にチリ一つ落ちていないことにも感銘を受けた。そして、工場見学後の意見交換の中では尊敬すべき技術者、研究者と出会うことができた。今でも上級技術者から言われた言葉は覚えている。

「我々は、審査官が技術をよく分かってした判断は評価するが、分からないままにした判断には従わない。審査官の技術の勉強、習得には、全力で支援する。」

特許庁審査官がいかにリスペクトされているかを知ることができた。

私の現職時のようなアナログ時代と異なり、現在ではデジタル化、オンライン化が進み、分冊を手でめくって審査サーチをすることもなく、また、審査サーチのための「外部調査機関」も設けられ、審査官は審査判断に専念できるようになった。これにより未処理案件の処理に目途がついたが、果たして特許審査の在り方はこのままでよいのか、何故特許査定率が世界最高までに上昇していったのか等、新たな課題が生じている。

特許庁審査官が未処理案件の処理に追われて技術情報の勉強、習得を怠っているとは思わないが、「技術的優位性」は明らかに企業等の方に傾いているというのが実感である。特許法に審査官の権限が規定されているとしても(2)特許法四十七条第一項
特許庁長官は、審査官に特許出願を審査させなければならない。
特許法四十九条各号列記以外の部分
審査官は、特許出願が次の各号のいずれかに該当するときは、その特許出願について拒絶をすべき旨の査定をしなければならない。
特許法第五十一条第一項
審査官は、特許出願について拒絶の理由を発見しないときは、特許をすべき旨の査定をしなければならない。
、判断する側と判断される側との間の「情報の非対称」があれば、判断の誤りが生じる。「技術的優位性」を保つためには、組織的なバックアップを強化しつつも、やはり審査官の自助努力によるしかない。

「よく読み、よく聞き、よく叩く」こと、すなわち、国内外の技術文献等を収集して、よく読み、専門家の話をよく聞き、そして、疑問があれば専門家に質問することである。ここで、「叩く」とは、例えば、頭を叩くという意味でなく、専門家に本質を突く質問をすることを意味する。このような地道な努力により、前記上級技術者の思いに応えていくべきある。今の優秀な審査官はこれに十分応えていけるものと信じる。現在の制度設計上、特許庁が「技術的優位性」を保持することが必要であり、これが特許庁の「レゾン・デートル」である。

(以下、2020年5月11日追加)

(2)外国特許文献の調査

外国特許文献の調査の拡充は、特許庁にとっても、大きな課題の一つである。

例えば、澤井智毅氏(3)世界知的所有権機関(WIPO)日本事務所所長は、次のように述べられている(引用文中の下線は筆者が付与したものである。)。

一方、我が国においても、特許率がこの10年で20ポイント以上増加しています(図12)。上述の通り、我が国企業の特許出願構造が、量から質に転換したことが、その主因であるものの、中には、先行技術調査が十分になされなかったケースも考えられます。迅速性を優先するあまり、他国を遙かにしのぐ効率性を追求したことや、急増する外国語文献(図13)への先行技術調査が不十分であったことも、その一因と考えられます。

澤井智毅「10年目標の実現と 今後の特許審査の基本方針
特技懇 2014.5.13. no.273 p.10

ここで、その引用する「図12」には、「我が国特許庁における特許率の推移」として、2004年には49.5%であったものが、2013年には69.8%となっていることが示されている(なお、「特許行政年次報告書2019年版(4)特許庁編「特許行政年次報告書2019年版」によれば、2017年には74.6%となっている。)。同じく「図13」には、「急増する外国語文献」として、特に「中韓文献」が急増しており、1997年には約70万件中15%を占めていたのが、2012年には約175万件中60%を占めていることが示されている。

ところで、2010年10月、EPOとUSPTOは、ECLA・ICOを共同で作成することを合意した。すなわち、EPOの内部分類であるECLA・ICOにUSPCを部分的に取り込んで、これを共通特許分類「COOPERTIVE PATENT CLASSIFICATION(以下「CPC」)」としたものである(5)その詳細については、例えば、酒井美里「欧州と米国の新しい特許分類 CPC(欧州米国共通特許分類)の活用と留意点情報の科学と技術 63巻7号 292~297 (2013)を参照。

このCPCは、多くの特許庁等で採用が進められている。近年、特許文献が急増している中国国家知識産業局(SIPO)及び韓国特許庁(KIPO)も、自国の特許文献に対してCPCの付与を行うことを2013年6月に公表している。

そして、「COOPERTIVE PATENT CLASSIFICATION ANNUAL REPORT 2017/2018」によれば、CPCは、EPOのネットシステムを介して、45カ国以上の特許庁において、32,000名の審査官に利用され、4900万件の特許文献に対して付与されていること、文献カバー率としては、US、EP、WIPOでは99.9%以上、ドイツ、フランスでは、それぞれ85.9%、99.2%、特許文献が急増している中国国家知識産業局(SIPO)、韓国特許庁(KIPO)では、それぞれ31.7%、67.0%、日本では26.7%であること、がそれぞれ示されている。

もっとも、EPOとUSPTO以外の特許庁等では、CPCを自国の特許文献に対して付与するものの、CPC改正についての権限を持ち合わせていない。また、EPOとUSPTO以外の特許庁が自国特許文献に対して付与したCPCには、[CPCNO]というタグが付され、これらにはCPC改正に伴う再分類は義務とされていない(6)井海田隆「特許分類に関する現在の状況」Japio YEAR BOOK 2015、PP.108~113参照

日本にとって、CPCは、IPCをベースとする分類体系となっており、FIと共通点・類似点が多い。日本国特許庁は、「特許検索ポータルサイト」において、IPC、FI、CPC間の対応関係を参照するために、「分類対照ツール」を提供している。欧米文献、特に米国特許文献はUSPCが独自の分類体系を有しているためにアクセスがしづらかったが、これが解消されたのではないか。

一方、近年急増する中国・韓国文献については、言語の壁もあって、アクセスが困難であった。中国特許庁、韓国特許庁もCPCNOを付付与し始めてはいるが、そのCPC分類付与の蓄積状況に不明なところがあり、しかも、IPC加盟国間の調整によるIPC改正とは異なり、EPOとUSPTOのみがCPC改正の権限を持つため、たとえCPC改正があってもCPCNOが再分類されない。このため、日本は、機械翻訳を活用した和文抄録、次いで全文翻訳に進み、それから日本分類(FI・Fターム)を付与する方針でよいのではないか。

(以上、2020年5月11日追加)

なお、特許庁が特許文献検索システムに係る発明について特許出願をし、特許権を取得したとの報道に接したので、以下に紹介する。

特許の審査では、世界中の膨大な数の特許文献を調査する必要があります。
 この調査を適切に行うためには、世界中から発行される特許文献をデータベースに蓄積し、常に最新の状態に更新する必要があります。特に、特許文献のデータ構造は、発行される国・地域によって言語のみならず形式なども異なることから、それらを適切に検索できるような形に変換して蓄積することは、特許審査の質を保つためにも重要です。

特許庁では、これらの課題に対応するため、実験的にAI技術等も駆使して、言語及び特許分類(*1)の種類が様々である世界中の特許文献を、希望する言語や特許分類(例えば、日本語、及び、日本の詳細な特許分類であるFI)にて、一括して検索することを可能とする特許文献検索システムやそのための管理システム(あわせて、「アドパス」)を開発し、これに関する技術について特許権を取得しました。
 本特許権の取得は、①自ら開発した特許文献検索システムを安定的に自己実施できるようにすること、②国内ユーザーや諸外国の特許庁等に広く安心してこの特許技術を活用頂くことを目的としています。併せて、「アドパス」の商標についても出願しており、今後、国内審査が行われる見込みです。

今後とも、これらのシステムを活用しつつ、効率的かつ質の高い特許審査を提供してまいります。

(*1)特許分類とは、特許文献に記載された発明の内容に応じて、各出願などに付与されるインデックスです。国や地域などによって異なる部分も多く存在します。

経済産業省ウェブサイト
特許庁が特許文献検索システムに関する特許権を取得しました
2020年5月11日付けニュースリリース

(3)当業者のレベル

進歩性判断の大前提となる「当業者」、すなわち、特許法29条2項(7)特許法第二十九条第二項
特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。
にいうその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者とは、技術専門家を意味する。しかし、当業者のレベル及び範囲について、法文上、規定はないが、以下のように考えられている。

第1に、当業者とは、特許法上の仮想的な人物を想定しており、審査官や審判官は、自らの知識をもって進歩性を判断するのではなく、当業者の立場に立って判断すること。

第2に、進歩性は、特許出願前に当業者が特許法29条1項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたか否かにより判断されるものであるところ、例えば、当該特許出願前に頒布された刊行物であれば、たといノーベル賞に値する論文であっても、「特許法29条1項各号に掲げる発明」として進歩性判断の根拠とすることができる。当業者とは、従来技術等に関する知識の全部を自らの知識としている者、あるいは、まだ自らの知識としていない技術であっても、これに接するときは完全に理解し、その後これらを自らの知識とすることができる者を含む、高度の知識を有する者であること(8)吉藤幸朔著・熊谷健一補訂「特許法概説〔第13版〕」pp.108~109,263~264,有斐閣,1998

第3に、進歩性での当業者と明細書の実施可能要件での当業者とは、その範囲に著しい違いがあること。進歩性においては、当該技術分野に属する全部門の当業者にとって容易である必要はない。例えば、開発部門で容易でなくても、研究部門で容易であればよいこと(9)吉藤幸朔著・熊谷健一補訂「特許法概説〔第13版〕」pp.108~109,263~264,有斐閣,1998

なお、従来、当業者は、単数かつ自然人の専門家とされていたが、平成12年の審査基準の改訂により、複数の技術分野からの専門家からなるチームも考えられると当業者の範囲が拡大された。

特許庁の審査基準によれば、「当業者」について、具体的に次のとおり説明している。

・・・「当業者」とは、以下の(i)から(iv)までの全ての条件を備えた者として、想定された者をいう。当業者は、個人よりも、複数の技術分野からの「専門家からなるチーム」として考えた方が適切な場合もある

  • (i) 請求項に係る発明の属する技術分野の出願時の技術常識・・・を有していること。
  • (ii) 研究開発(文献解析、実験、分析、製造等を含む。)のための通常の技術的手段を用いることができること。
  • (iii) 材料の選択、設計変更等の通常の創作能力を発揮できること。
  • (iv)  請求項に係る発明の属する技術分野の出願時の技術水準・・・にあるもの全てを自らの知識とすることができ、発明が解決しようとする課題に関連した技術分野の技術を自らの知識とすることができること。

特許庁編「特許・実用新案審査基準」/第III部 第2章 第2節 進歩性/2. 進歩性の判断に係る基本的な考え方

私が特許庁から東京高等裁判所に裁判所調査官として出向した平成10年当時、同裁判所知的財産部におられた山下和明裁判長(ご所属及びご役職は当時のもの。以下同じ。)は「特許庁は当業者のレベルを低くみすぎているのではないか」との問題意識を持たれていたようである。その頃から東京高裁においてY審決(10)当事者系審判における請求不成立審決のことをいう。が次々と取り消され、平成11年頃からは50%以上が取消されるに至った(11)前掲2019年版特許行政年次報告書統計・資料編に基づいて、おおよそのY審決の取消率を算出すると、2009年~2018年の当事者系での全判決数947、うち取消判決282で、取消率は282/947X100≒30%

通常、進歩性の判断において、出願に係る発明又は特許発明(以下「出願・特許発明」という。)と共通する課題を主引用発明が有しない場合は、出願・特許発明の課題が自明な課題であるか否か、容易に着想し得る課題であるか否かについて、出願時の技術水準に基づいて検討していた。

しかし、山下裁判長は、出願・特許発明と共通する課題を主引用発明が有しない場合について、以下のように述べられている。なお、下線は筆者が付与した。

相違点の克服を容易とする認定判断の誤りの内容として、出願・特許発明と引用発明(特に引用発明1)との技術的課題の相違の看過が挙げられることがある。しかし、これは、取消事由となり得る事項ではない。これが取消事由となるためには、その前提として、上記相違が相違点の克服を困難にすること、換言すれば、出願・特許発明が技術的課題としているものの認識がなければ相違点の克服は容易にはできない、ということが認められなければならないが、そのようなことが認められないことは明らかであるからである。進歩性の有無は、引用発明1から出願・特許発明に至ることに、特許を与えるに値する困難の克服が認められるか、否か、自体によって決められるべき事柄であり、その困難の克服の動機となるべき課題は、もちろん、出願・特許発明のものと同じであっても、差し支えないものの、同じでなければならないわけではないのは当然である(異なった課題を動機として同一の構成に至ることは十分あり得ることである。)。技術的課題について問題とすべきことは、引用発明1等、出願・特許発明以外のものの中に、引用発明1から出願・特許発明の構成に至る動機付けとなるに足りる技術的課題が見いだされるか否かであって、そこに見いだされる技術的課題と出願・特許発明のものとの異同でないことを、しつかりと認識すべきである。

山下和明「審決(決定)取消事由
竹田稔=永井紀昭編『特許審決取消訴訟の実務と法理』発明協会,2003年,158頁

特許庁の審査基準は、主引用発明に副引用発明を適用する動機付けの有無を判断するに当たり、考慮しなければならない観点のひとつとして、「課題の共通性」を挙げているところ、ここでいう「課題の共通性」とは主引用発明と副引用発明との間で課題が共通することとし、また、審査官は、請求項に係る発明とは別の課題を有する引用発明に基づき、主引用発明から出発して請求項に係る発明とは別の思考過程による論理付けを試みることもできる。ともしており(12)特許庁編「特許・実用新案審査基準」/第III部 第2章 第2節 進歩性/3.1 進歩性が否定される方向に働く要素/3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け/(2) 課題の共通性、ここには山下裁判長の考え方もある。

もっとも、主引用発明の課題が出願・特許発明の課題とは異なるとして進歩性が肯定された裁判例もあり、当然、事案に応じて判断されるべきであろうが、出願・特許発明が特許するに値するものであるか否か、これは優れて技術的な価値判断であるから、結論さえ妥当であれば、その理由付けの如何は問わないというものかもしれない。

3 特許法の精神

私の現職時における特許査定率、例えば、2004年の特許査定率は49.5%であったのに対し、上記のとおり、2017年の特許査定率は74.6%となり、前者に比して後者は約25ポイントも上がっている。

本稿では、知財のグローバル化、デジタル化の進展、人工知能(AI)の進化、企業等の技術開発の現況、特許庁の施策等を、情報、調査、当業者等の視点から、十分とはいえないものの、ビックデータでも内部情報でもない、あくまで公開された情報を基に考えてみた。

その結論として、特許査定率が高いことに特に問題はないのではないか。特許査定率といったものは、上がることもあれば下がることもあろう。特許法の目的は、その1条にあるように、発明の保護を図ることで、発明を奨励し、産業の発展に寄与することにある。要は、発明の保護→発明の奨励→産業の発展のサイクルがうまく回っているのか否かが重要であろう。特許庁でも自ら特許審査の品質チェックを実施しており、また特許権の品質チェック機能の側面もある、特許異議申立件数、無効審判件数も増加していない。

費用の面からみると、1件の特許出願から年金維持の費用は、弁理士報酬を加えると、おおよそ100万円~200万円(特許権現存率は10年でほぼ50%であり、どのくらい特許権を維持するかで費用は異なるが)であり、これは決して安い費用ではない。

また出願人サイドの実務能力の飛躍的な向上がある。弁理士数は11,587人(2020年4月8日現在)うち付記弁理士数3,451人(2020年3月11日現在)、知的財産管理技能士数(1級から3級資格者数:103,560人、うち1級資格者(特許専門業務):1、803人、1級の合格率は5~8%程度、特許、コンテンツ、ブランドの三冠制覇の猛者もおられる(2020年))など出願人サイドにおいて優秀な人材が育っている。特に企業知財部員の実務能力の向上は著しい。

わが国の特許庁は、量から質への出願構造の転換との見立てをしているが、我が国は世界に先駆けて「質の時代」に入ったかもしれない。

脚注

脚注
1, 4 特許庁編「特許行政年次報告書2019年版
2 特許法四十七条第一項
特許庁長官は、審査官に特許出願を審査させなければならない。
特許法四十九条各号列記以外の部分
審査官は、特許出願が次の各号のいずれかに該当するときは、その特許出願について拒絶をすべき旨の査定をしなければならない。
特許法第五十一条第一項
審査官は、特許出願について拒絶の理由を発見しないときは、特許をすべき旨の査定をしなければならない。
3 世界知的所有権機関(WIPO)日本事務所所長
5 その詳細については、例えば、酒井美里「欧州と米国の新しい特許分類 CPC(欧州米国共通特許分類)の活用と留意点情報の科学と技術 63巻7号 292~297 (2013)を参照。
6 井海田隆「特許分類に関する現在の状況」Japio YEAR BOOK 2015、PP.108~113参照
7 特許法第二十九条第二項
特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が前項各号に掲げる発明に基いて容易に発明をすることができたときは、その発明については、同項の規定にかかわらず、特許を受けることができない。
8, 9 吉藤幸朔著・熊谷健一補訂「特許法概説〔第13版〕」pp.108~109,263~264,有斐閣,1998
10 当事者系審判における請求不成立審決のことをいう。
11 前掲2019年版特許行政年次報告書統計・資料編に基づいて、おおよそのY審決の取消率を算出すると、2009年~2018年の当事者系での全判決数947、うち取消判決282で、取消率は282/947X100≒30%
12 特許庁編「特許・実用新案審査基準」/第III部 第2章 第2節 進歩性/3.1 進歩性が否定される方向に働く要素/3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け/(2) 課題の共通性

長谷川曉司君のこと

人は何か問題にぶつかった時,意見を求めたい友人は何人かいるものである。弁理士の畏友・長谷川曉司君はその一人であった。彼は大手化学会社の理事・知的財産部長を務めた後,「長谷川知財戦略コンサルティング」を設立し,知財コンサルタントとして活躍していた。彼は2011年に逝去し,著書「御社の特許戦略がダメな理由(1)2010年3月25日第1刷発行,中経出版
国立国会図書館サーチ「御社の特許戦略がダメな理由 : 9割の日本企業が、特許を取っても利益に結びつけていない 」詳細情報
を遺した。「漫然とした特許出願による損失」,「攻めの特許戦略が大利益を生む」,「経営戦略という視点で特許を見る」,「戦略は事業,研究,知的財産の「三部門一体」で立てるべき」等といった点が記載されている。具体的な実例とこれらに裏付けられた理論にリアルティがあり,理論と実務が見事に融合した「名著」である。知的財産関係の仕事に携わっている者,特に企業経営者の必読の書ある。

ある日の飲み会における知財の在り方の談論。
彼「『戦わずして勝つ』ことが,一番の戦略(笑)」
私「弁理士は世の中が乱れて何ぼの商売,私に死ねということだ(笑)」
彼「ム・・・いや先生には別の面で活躍を(笑)」

ここで,「戦わずして勝つ」とは,孫子の謀攻篇に「不戰而屈人之兵,善之善者也」(戦わずして敵を屈服させることこそ最善である。諸橋轍次訳)とある。

知財のグローバル化の中,日本の知財の停滞,中国の圧倒的な知財パワー,人工知能(AI)の進展の現況を,彼はどのようにみているのか聞いてみたかった。私は尊敬する友人がいなくなったことを,大いに悲しまざるを得ないのである。

(花田吉秋2020.1.17)

特許異議申立制度をもっと活用しよう

1 実務能力をもう一段レベルアップするために

私は、企業所属の知財部員に対し、特許出願審査における拒絶理由対応について何回かセミナーを行ってきたが、受講生は皆、優秀で実務能力も高かった。

そこで、受講生に対し、特許異議の申立てや特許無効審判の請求を経験したことはあるかと質問したところ、経験がない、とのことだった。中には、特許出願から権利化までの業務に携わりつつも、まだ拒絶査定不服審判の請求は経験したことのないという受講生もいた。

しかし、審判審査の実務能力をもう一段レベルアップするには、当事者系の経験をした方がよい。

とはいうものの、他社から警告状が来ていたり、侵害訴訟を提起されている等の状況があればともかく、通常、特許無効審判を請求することの敷居は高い。

それでは、当事者系の実務能力を高めるにはどうすればよいか。それには、格好の「生きたテキスト」がある。それは、特許異議申立制度を活用することである。特許異議の申立てはいわゆる査定系に分類されているが、まず、特許異議申立人が異議申立理由を指摘し(1)特許法115条1項
特許異議の申立てをする者は、次に掲げる事項を記載した特許異議申立書を特許庁長官に提出しなければならない。
 一、二 ・・・
 三 特許異議の申立ての理由及び必要な証拠の表示
、次に、審判合議体が取消理由ありと判断すれば、取消理由に対する特許権者の反論があり(2)特許法120条の5第1項
審判長は、取消決定をしようとするときは、特許権者及び参加人に対し、特許の取消しの理由を通知し、相当の期間を指定して、意見書を提出する機会を与えなければならない。
、実質的に当事者対立構造をとっている。

それでは、査定系と当事者系とでは、どのような点に違いがあるのであろうか。査定系では、審査官や審判官が構成した拒絶理由に対して意見を述べればよいのに対し、特許異議の申立てにおいて特許異議申立人となった場合には、自ら取消理由を構成しなければならない点が、一番の違いであろう。多数の証拠から一つの論理を纏め挙げて一つの取消理由を構成することは、意外と難しいものである。また、審査官や審判官を相手にするのとは違い、相手方からは変化球あり、落とし穴ありの反論がある中、問題の本質を見極めて反論しなければならない。

2 新・特許異議申立制度の現状

新・特許異議申立制度は、平成26年法改正により創設されたものである。その特許異議申立件数は、特許庁による統計をみると(3)特許庁編「特許行政年次報告書2019年版、2018年では1075件(権利単位、以下同様。)、2017年では1251件、2016年では1214件と推移しているが、旧・特許異議申立件数が年3000件を超えていたことからすれば、少ない印象を受ける。

しかし、審判合議体による審理は充実しており、特許権者も的確な訂正請求をしており、強く安定した特許権を早期に確保するという制度趣旨からみて、充分機能していると見ている。

一方、特許異議申立人側としては、取消理由通知こそ出るが、訂正請求の結果、維持決定がなされることが多く、なかなか取消決定が出ないという不満はあるようである。

この点について、やはり特許庁統計の特許異議申立の最終処分件数をみると、2018年では、取消決定150件、維持決定1006件で、取消決定は約13%となっており、2017年では、取消決定は約11%となっている。これに対し、旧・特許異議申立においては、例えば、2003年の特許異議申立件数3055件の審理結果は、維持(訂正なし)22%、維持(訂正あり)39%、取消(全部又は一部)37%となっていた(4)産業構造審議会 知的財産政策部会 第36回特許制度小委員会 議事次第・配布資料一覧
資料1 強く安定した権利の早期設定の実現に向けて(2)

新・特許異議申立制度では、「決定の予告」制度が設けられており、2回の訂正請求が認められているから、旧・特許異議申立制度における取消率より低くなっているのかもしれない。

3 特許査定率の上昇

旧・特許異議申立においては、年3000件以上、多い年では6000件に近い特許異議申立件数があった。あのエネルギーは何だっただろうか。

旧・特許異議申立制度が廃止されてから約12年を経て新・特許異議申立制度が創設されたが、この間、特許査定率が上昇している。2016年では75.8%、2017年では74.6%となっている。特許査定率の定義は海外各国で異なるが、2017年で、米国71.9%、韓国63.1%、EPO57.1%、中国56.4%となっており、日本は最も高い特許査定率となっている(5)特許庁編「特許行政年次報告書2019年版

このような特許査定率の上昇について、特許庁は、特許出願が厳選された結果であり、量から質への転換が進んでいるとの見立てをしている(6)特許庁編「特許行政年次報告書2019年版

特許庁がいうような側面も否定できないとはいえ、このようにして特許を受けた発明の多くは、企業が今後20年、30年にわたって利益を出していけるような「イノベーション」ではなく、自社の中核技術をベースにして、他社技術と差別化を目的とする技術がほとんどではないか、というのが実感である。

しかし、近未来には、バイオ技術、医療、人工知能(AI)、ICT(情報通信技術)、IoT(モノのインターネット)など、「イノベーション」の大爆発の可能性がある。

4 企業の知財部員は何をすべきか

知財部員にとって特許異議申立制度はどのような意味をもつのか。審判官や審査官を相手とする査定系の実務のみに携わっていたのでは、実務能力の向上に限界がある。もう一段高いレベルアップを目指すべきであり、それには、先ず、当事者系の実務能力を付けることである。

例えば、知財業務においても人工知能(AI)による代替が進展するであろうが、当事者系を通じて、コミュニケーション力、論理力及び反論力を磨いていけば、AIとも共存することができる。さらに、発明者からの発明の発掘、開発部門からの相談、他社との交渉等の業務においても、一段レベルアップして、自信をもって対応できるようになることは確実である。

そのためには、先ず、企業の知財部は、月に1、2件程度、特許異議の申立てをしたらよい。そして、自社事業を進める上で障害となる特許等を中心にして、その対象を徐々に拡大していけばよい。よく無効の抗弁(特許法104条の3)があるから、無効資料を見つけても黙っておいて、いざという時に提出すればよいとの声も聞く。しかし、訴訟段階で無効資料を証拠として提出しても、裁判所がこちらの希望するような判断をしてくれるかどうかは不確実である。企業の知財部はリスクを抱えてはいけない。また、特許異議の申立てをしたのに取消決定に至らなかったとしても、取消理由をどのように構成すればよかったのか、どのような証拠を補充すればよかったのか等、次につなげることができる。

審判合議体は取消決定を出さないとの特許異議申立人側の不満に関してみても、維持決定がされたいくつかの特許異議申立事件について、異議申立理由及び証拠を検討してみたところ、例えば、引用発明の認定、本件発明と引用発明との対比の仕方等、不慣れな点も見受けられた。

企業の知財部において特許異議の申立てをしたが、何故、維持決定がされたか、その理由が分からないということがあれば、是非、弊所まで相談されたい

勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし松浦静山:1760~1841、『甲子夜話』の著者、平戸藩第9代藩主)という。

これらの原因分析から学ぶことは多いであろう。(花田吉秋記)

以 上

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脚注

脚注
1 特許法115条1項
特許異議の申立てをする者は、次に掲げる事項を記載した特許異議申立書を特許庁長官に提出しなければならない。
 一、二 ・・・
 三 特許異議の申立ての理由及び必要な証拠の表示
2 特許法120条の5第1項
審判長は、取消決定をしようとするときは、特許権者及び参加人に対し、特許の取消しの理由を通知し、相当の期間を指定して、意見書を提出する機会を与えなければならない。
3, 5, 6 特許庁編「特許行政年次報告書2019年版
4 産業構造審議会 知的財産政策部会 第36回特許制度小委員会 議事次第・配布資料一覧
資料1 強く安定した権利の早期設定の実現に向けて(2)

組成物発明における「からなる」の文言解釈について

 一般に、組成物に係る発明(以下「組成物発明」という。)の特許請求の範囲の記載には、「AとBのみからなる組成物」、「AとBからなる組成物」、「AとBを含有する組成物」という場合が存在する。

そして、それぞれの発明の要旨認定において、特許庁現職時には、前二者はA又はB以外の第三成分を包含できないのに対し、後者はA又はB以外の第三成分をも包含できると解釈して運用していた。

しかしながら、組成物発明における「からなる」との文言について、そのように解釈しない裁判例もあったところ、知財高裁平成29年1月20日特別部判決・平成28年(ネ)第10046号[オキサリプラティヌムの医薬的に安定な製剤](以下単に「大合議判決」という。)によって、個人的には一応の決着がついたと見ている。

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